Michael Jackson’s THIS IS IT
マイケル・ジャクソンがなくなって、意外なほど悲しかった。悲しいというか…何だろう…切ない。だろうか。
これといって、ファンです!と公言するほどではないけれど、iPodにはいつもマイケルジャクソンの曲が入ってたし、日曜日に部屋の掃除しながらCDをかけたり、意識せずとも耳にしていたなと…今思えばね。でもその程度。
ゴシップネタに少なからず惑わされていたぼくがファンと言うには本当のファンに畏れ多い。中学生のときに訪れた洋楽ブームに燦然と佇むスターの存在は、そのまま自分の多感な時期の記憶をもキラキラと美化させてくれ、いつしかそれにすがってたんだ。
THIS IS ITは、とてもキラキラしてる。
あくまで映画なのでフィクションとは言わずとも編集などでだいぶ美化されているだろう。ダンサー達のコメントの数々もある種の演出がかかってるかもしれない。噂のギタリストOrianthiの絶好のプロモーションも計算済みかもしれない(29日以降@orianthiのTwitter Followerがすごい勢いで増えてるしPRも活発だ)。ラトーヤのコメントは至極真っ当だ。二週間限定がさらに二週間延長したことも予定通りだろうさ。でもね、そんなことはどうでもいいんだ。真実がどうとか裏事情がどうかなんてどうでもいいんだ。リハーサルとはいえあのステージ上の姿がキラキラしてるかどうかが全て。事実、ネタにされ続けた肌の色や整形、これまで知らぬ間に植え付けられていたマイケルの奇行や変人ぶりなんてどうでもよくなっちゃう。ステージ、それが全て。彼に関わるダンサーやミュージシャンやスタッフ達も羨ましくなるほどに輝いているもの。
もし亡くなってなかったら、このファイナルカーテンコールがDVDやBDになったとしても見ることはなかったかもしれない。見たとしてもこの映画を見た感動以上に感動したとは思えない。失って気付くのは、かつて与えてもらった自分の中に眠るキラキラとした欠片。最後の最後に何かを与えてくれたことに気付いても、彼はもういない。
マイケルのあのスパンコールの手袋は、周りの人全てを輝かせるマジック。観る者の中に眠る記憶の欠片をすくいとり、彼に関わる全てが輝いていた映画なのでした。
そしてこのkomimemoの一番最初のメモがマイケルだったことも気付いたのであった。ピンク色の輝きを放ってます。
21世紀少女
これまで仕事場にくることはめったになかった小学一年生の姪が、最近は実家に来たついでによく仕事場にくる。iPhoneが目当て。写真系アプリを触り、撮った写真をカメラロールで眺める。一通り遊んで飽きたら、仕事場を去り表で最近覚えたコマ回しなどしてるみたい。
iPhoneを買ったとき、画面スライドとかタップとか未体験の洗練されたタッチパネルの操作感にいちいち感動を覚えたのですが、彼女にはその操作感よりも手軽に何か出来ることのほうが面白いようで、ためらうことなく操作を覚える。
使うことに感動してる37歳と、使う先のことに興味を示す7歳児。コマ回しと同列の遊び。その価値観に100倍以上の価格差はない。
いまどきの子供達ってこんな感じなんだろうな。日常に三次元加速度センサー(Wiiリモコン)なんかが転がってる今の世にはさしたる驚きはないのだろう。
そんな姪を見てると、それが20年後か30年後か、未知の世界にワクワクするような飽きない世の中が待ってる気がするんだ。出来れば死ぬまでにお願いします21世紀少年少女達。オレらができるのはせいぜい迷惑かけないようにすることだけか。さっさと消費税上げたほうがいいよのう。国民総背番号制もな。










