UTGP
http://ut.uniqlo.com/utgp/#/detail/10868
我が家の部屋着をまかなうユニクロのメルマガを見た嫁が「お!これ出せばいいじゃん!」とギャンブラー的発言をしたのが締め切り2時間前。ぼくのサイトなんて年に一度ぐらいしか見ない彼女がサイト見ながら画像選びに励む。
嫁セレクトの画像を見ながら「あぁなんかユニクロって感じ!」。。。それは褒め言葉なのか。っていうかこれ昔Tシャツに。。。
「気乗りしないなら私の名前で出していいよ〜」
そんな言葉を浴びせられ応募したのはいいんだけど、思いっきり素顔を晒されてることに戸惑う36歳オッサン。プロフィール画像って書いてあったから馬鹿正直に顔写真送信したオレの立場は!
(LIKE THISやプレビューが審査に影響するわけではありません)
ナナハン
ナナハン。
この言葉の語源ともなったバイクがCB750Four。
ライムグリーンのニンジャ(GPZ900R)に乗ってたころ
SAで爺さん(以下爺)に話かけられた。
爺「こりゃ速かごたね」
俺「・・・」
爺「何キロでるとね?」
俺「200km/hぐらいすかね」
爺「そりゃウソや(笑)飛んでくばい」
俺「・・・」
爺「何ccあっとね?」
俺「900ですけど」
爺「はぁ〜ナナハンたい」
俺「・・・(900。。。)」
方々に一人でツーリング行ってたぼくは
こういうトンチンカンなやりとりは何度か経験した。
そう、バイクに疎い年配の方は
いまだに大きなバイクの総称はナナハンだったりする。
それほどまでに社会現象ともなったバイク、CB750Four。
CB750Four。
60年代後半、二気筒車全盛(英車独占)だった北米市場を塗り替え、その高性能と耐久性で名だたる二輪車を一気に過去のものにしたMade in Japan。バイクのみならず、安いが壊れやすいという当時の日本製工業製品全般のイメージを変えたと言っても過言ではない。
当時国内最大排気量だったCB750Fourが国内販売されると「ナナハン」の言葉とともに瞬く間に大流行。しかし、国産四輪を超える高性能に大型バイクの事故が急増。200km/hというスピードを身近にしたバイクは若者を非行に走らせる道具としてバッシングを受け、メーカーによる国内排気量の自主規制、二輪免許改正のきっかけとなったと言われている。
その後、加熱する各メーカーの高性能合戦で、80年代に世界最高速250km/hのふれこみで次の扉を開けたGPZ900R。メーカーは違えどCB750Fourが作った大きな流れの中で誕生した。
バイクをしげしげと見る爺さん。
高熱でキンキンキンと小さな音を発するエンジンに触れようとして
あまりの熱さに手をひっこめる爺さん。
そうこうしてるうちに遠くから爺さんを呼ぶ家族の声。
別れ際に「にいちゃん気をつけて行かやんばい」
たぶん、この爺さんにとってナナハンは夢の乗り物だったのかもしれない。
70年代にナナハンに乗るには歳を取りすぎていたのだろう。
息子夫婦とおぼしき家族の年齢をみると、
若かりし爺さんの責任感がそうさせたんじゃないかと思うのだ。
爺さんを乗せSAを出るファミリーカー。
ほどなくSAを出たオレは、そのファミリーカーに追いつき、
追い越し際にちらっと後部座席を見ると爺さんが手を振った。
少し並走しつつも運転手に嫌な顔されないうちにと、
オレは爺さんに軽く会釈して追い越した。
ミラーでみるみる小さくなってくファミリーカーを見ながら
爺さんとタンデムしてる気分になった。
6000万カブ
HONDAの礎を築いた名車カブ。
今でも郵便配達や新聞配達、飲食店の出前などなど、日本で一番実用的に使用されているんじゃないかと思う。そんなカブ(スーパー・カブ)が累計生産台数が6000万を突破したそうだ。言うまでもなく世界一。基本設計そのままでの販売も唯一。
初めてカブを運転したのは忘れもしない中学一年のとき。 親戚の農家のおっちゃん宅にあったカブを従兄弟と農道を乗り回した。ポケバイに乗ったことはあったけど、原付とはいえ大人の乗るバイクははじめてだった。時速40キロを自分で運転してる快感。
スーパーカブは今年8月に発売50周年を迎える。
カブがホンダにとっていかに重要なのかは60年代北米市場での成功が大きい。日本と北米でのカブの大成功を足がかりに、ドイツ、イギリスと相次いで販売網を築き上げる。1963年には四輪生産(軽トラ)に進出し、1964年にはF1に参戦。1966年にはWGPで史上初の全種目メーカー優勝を成し遂げる。
そんな相次ぐ投資に耐えられたのも、各国で売れ続けるカブあったからこそ資金を調達できたのだ。
しかしカブはあくまで実用車。
レースの実績とはうらはらに、市場で受け入れられたのは実用性の高さであり、今日に続く先進企業のイメージからはほど遠かった。(四輪では1958年に北米進出したトヨタも失敗していた)
世界の二輪市場をリードしていたのはあくまでイギリス、ドイツ、イタリアのバイクだったのだ。
その牙城を崩し、量産車でも先進的技術力のHONDAを知らしめたのは1968年発表された CB750Four K0 だ。
桜鱗
いわゆる「花見」ってやつは、ここ数年ご無沙汰。あぁいいなぁ、花見の時期だなぁなんて思ってるうちに散ってしまう。通勤途中の桜も写真撮ろうかなと思ってるうちに散ってしまった。雨上がりの路地に散った花びらは、なんだかウロコのよう。