十日恵比須正月大祭


今年も、博多の商売繁盛祈願を一手に引き受ける十日恵比須神社へ足を運ぶ。
年明けてまだどこの神社にも行ってなかったのでこれが初詣。初詣の期間に規定があるのかわかりませんが、とにかく新年は神社に詣でないと!と、古来からの神事のような気分でいますが、実はこの初詣というものの歴史はそれほど古くなく明治以降といわれています。
そもそも大晦日、正月というのは先祖迎えの時季という説もあり…。和泉式部の一節「なき人の来る夜と聞けど君もなく我が住む宿や霊なしの里」、徒然草の一節「つごもりの夜いとう暗きに松どもともして〜」などから、大晦日には魂祭(たままつり:亡くなった人を迎える祭り)という行事があったようです。お盆のようなもんですね。また、正月のお年玉も「お年魂」と柳田國男「先祖の話」で解釈しているので、先祖迎え、先祖供養が大晦日と正月の大事な行事だったのでしょう。あまり晴れ晴れしくないなぁ。
現代の感覚で死人が帰ってくるという概念は恐ろしく感じますが、この概念は長く日本で大事にされてきているもので、死への恐怖、すなわち死が身近にあったからこそ、そのリアルな恐怖を取り除かんがためのものであったと言えるでしょう。
初詣に関してはWikipediaに詳しく書いてありましたが、なにやら鉄道網発展とともに定着したみたいですね。参拝客輸送を目的として開業された鉄道会社など、初詣ってのは、今で言うバレンタインデーのチョコレート的なもんだったんでしょうか。神仏分離、廃仏毀釈の影響もあって神道の一大イベントとして成立させる必要があったかもしれませんね。
とまぁ堅っ苦しいことは抜きにして、1月8日からの4日間で100万人以上が訪れる十日恵比須正月大祭には数百の露店集まってるとか。露店ひしめくなか参拝に並んでいると、何かこうワクワクすると言いうか…だって今はこんなにたくさんの露店を見ることあまり無いんだもの。りんご飴とか買ってしまいたくなる。子供か。
三社参り残すは二社。今年も、祐徳稲荷神社(佐賀)、霧島神宮(鹿児島) か。来月までかかりそうだな…。(…いつまで正月気分なんや…)
金継ぎ
金継ぎ(きんつぎ)という技法がありまして…。割れた陶磁器を小麦粉(グルテン)と漆を混ぜた「麦漆」で接着し、その接着跡を金箔や金粉で装飾する技法です。なぜ小麦粉なのかと言いますと漆は常温高湿度により乾燥するので、割れを密着させる場合は湿気と酸素を内部に保持するための「つなぎ」が必要なんですね。グルテンのみ抽出して混ぜ合わせたほうが接着度は増しますが、粘度が高すぎて多少扱いづらくなります。
写真のように欠けている場合はパテ状にした麦漆、もしくは砥乃粉と漆を混ぜたもので成形します。一気に盛ると内部が乾燥しない場合があるので数層にわけて形作ったほうがいいですね。漆というものはただでさえ乾燥に時間を要するものですが、一度乾燥し損ねると半永久的に乾燥しなくなったりするのでやっかいなんです。
このカップは伊藤環の作。ぶつけてポロリと欠けてしまったので金継ぎで補修してみた次第。好きなものは割れたらポイなんて気にはならないものです。
伊藤環さんの個展は「陶屋なづな」が今年最後のようです。本人のホームページは作品写真などありませんが、「伊藤環」でGoogle画像検索すると作品写真がちらほら。
Michael Jackson’s THIS IS IT
マイケル・ジャクソンがなくなって、意外なほど悲しかった。悲しいというか…何だろう…切ない。だろうか。
これといって、ファンです!と公言するほどではないけれど、iPodにはいつもマイケルジャクソンの曲が入ってたし、日曜日に部屋の掃除しながらCDをかけたり、意識せずとも耳にしていたなと…今思えばね。でもその程度。
ゴシップネタに少なからず惑わされていたぼくがファンと言うには本当のファンに畏れ多い。中学生のときに訪れた洋楽ブームに燦然と佇むスターの存在は、そのまま自分の多感な時期の記憶をもキラキラと美化させてくれ、いつしかそれにすがってたんだ。
THIS IS ITは、とてもキラキラしてる。
あくまで映画なのでフィクションとは言わずとも編集などでだいぶ美化されているだろう。ダンサー達のコメントの数々もある種の演出がかかってるかもしれない。噂のギタリストOrianthiの絶好のプロモーションも計算済みかもしれない(29日以降@orianthiのTwitter Followerがすごい勢いで増えてるしPRも活発だ)。ラトーヤのコメントは至極真っ当だ。二週間限定がさらに二週間延長したことも予定通りだろうさ。でもね、そんなことはどうでもいいんだ。真実がどうとか裏事情がどうかなんてどうでもいいんだ。リハーサルとはいえあのステージ上の姿がキラキラしてるかどうかが全て。事実、ネタにされ続けた肌の色や整形、これまで知らぬ間に植え付けられていたマイケルの奇行や変人ぶりなんてどうでもよくなっちゃう。ステージ、それが全て。彼に関わるダンサーやミュージシャンやスタッフ達も羨ましくなるほどに輝いているもの。
もし亡くなってなかったら、このファイナルカーテンコールがDVDやBDになったとしても見ることはなかったかもしれない。見たとしてもこの映画を見た感動以上に感動したとは思えない。失って気付くのは、かつて与えてもらった自分の中に眠るキラキラとした欠片。最後の最後に何かを与えてくれたことに気付いても、彼はもういない。
マイケルのあのスパンコールの手袋は、周りの人全てを輝かせるマジック。観る者の中に眠る記憶の欠片をすくいとり、彼に関わる全てが輝いていた映画なのでした。
そしてこのkomimemoの一番最初のメモがマイケルだったことも気付いたのであった。ピンク色の輝きを放ってます。
21世紀少女
これまで仕事場にくることはめったになかった小学一年生の姪が、最近は実家に来たついでによく仕事場にくる。iPhoneが目当て。写真系アプリを触り、撮った写真をカメラロールで眺める。一通り遊んで飽きたら、仕事場を去り表で最近覚えたコマ回しなどしてるみたい。
iPhoneを買ったとき、画面スライドとかタップとか未体験の洗練されたタッチパネルの操作感にいちいち感動を覚えたのですが、彼女にはその操作感よりも手軽に何か出来ることのほうが面白いようで、ためらうことなく操作を覚える。
使うことに感動してる37歳と、使う先のことに興味を示す7歳児。コマ回しと同列の遊び。その価値観に100倍以上の価格差はない。
いまどきの子供達ってこんな感じなんだろうな。日常に三次元加速度センサー(Wiiリモコン)なんかが転がってる今の世にはさしたる驚きはないのだろう。
そんな姪を見てると、それが20年後か30年後か、未知の世界にワクワクするような飽きない世の中が待ってる気がするんだ。出来れば死ぬまでにお願いします21世紀少年少女達。オレらができるのはせいぜい迷惑かけないようにすることだけか。さっさと消費税上げたほうがいいよのう。国民総背番号制もな。
