Michael Jackson’s THIS IS IT

  • Tuesday, November 3, 2009

マイケル・ジャクソンがなくなって、意外なほど悲しかった。悲しいというか…何だろう…切ない。だろうか。

これといって、ファンです!と公言するほどではないけれど、iPodにはいつもマイケルジャクソンの曲が入ってたし、日曜日に掃除をしながらCDをかけたり、意識せずとも耳にしていた…今思えばね。これはファンなのか?でもその程度。

ゴシップネタに少なからず惑わされていたぼくがファンと言うには本当のファンに畏れ多い。中学生のときに訪れた洋楽ブームに燦然と佇むスターの存在は、そのまま自分の多感な時期の記憶をもキラキラと美化させてくれ、いつしかそれにすがってたんだ。

THIS IS ITは、とてもキラキラしてる。

映画なのでフィクションとは言わずとも編集などでだいぶ美化されているだろう。ダンサー達のコメントの数々もある種の演出がかかってるかもしれない。噂のギタリストOrianthiの絶好のプロモーションも計算済みかもしれない(29日以降@orianthiのTwitter Followerがすごい勢いで増えてるしPRも活発だ)。ラトーヤのコメントは至極真っ当だ。二週間限定がさらに二週間延長したことも予定通りだろうさ。
でもね、そんなことはどうでもいい。真実がどうとか裏事情がどうかなんてどうでもいいんだ。リハーサルとはいえあのステージ上の姿がキラキラしてるかどうかが全て。事実、ネタにされ続けた肌の色や整形、これまで知らぬ間に植え付けられていたマイケルの奇行や変人ぶりなんてどうでもよくなる。ステージ、それが全て。彼に関わるダンサーやミュージシャンやスタッフ達も羨ましくなるほどに輝いているもの。

もし亡くなってなかったら、このファイナルカーテンコールがDVDやBDになったとしても見ることはなかったかもしれない。見たとしてもこの映画を見た感動以上に感動したとは思えない。失って気付くのは、かつて与えてもらった自分の中に眠るキラキラとした欠片。最後の最後に何かを与えてくれたことに気付いても、彼はもういない。

マイケルのあのスパンコールの手袋は、周りの人全てを輝かせるマジック。観る者の中に眠る記憶の欠片をすくいとり、彼に関わる全てが輝いていた映画だった。

そしてこのkomimemoの一番最初のメモがマイケルだったことも気付いたのであった。
ピンク色の輝きを放っていた。

© KOJI KOMIYA.